濃黄色一色に塗り替えられた2扉車の モハ114-3010
ここ数日は古本屋業務が発送作業とちょっとした在庫の整理くらいしかできなかったので、JR車両の形式写真をアップすることができませんでした。
平日はいつもシングルファーザーなので忙しいのは覚悟していますが、先の週末は日曜日(7/21)に高校1年生の息子が米国に短期留学に出発した関係で、その準備や成田空港までの見送り。そして週末が明けてからも自宅リビングの壁紙の張り替えや、自宅の一部リニューアル工事などで職人さんが我が家を出入りしていたので、外出することができず制約の大きい生活を送ってました。その後もリビングの模様替えなどを1人で黙々とやってました。
ちょうど学校が夏休みに突入した時期とも重なったので、シングルファーザーに磨きが掛かってました。
いつでも形式写真をアップできるように手元にレタッチ作業が終わった写真を用意していますが、最近は1つの写真に1つはためになりそうなネタを入れようと決めてましたので…
サクッと文章が書けるようになればいいのですが、作文が苦手な苦手な理系人間なのでご容赦ください。
学生時代〜会社員時代は論文や特許明細書をたくさん書きましたが、ブログの文章は少々勝手が異なるので、下書き段階で念入りに見直なさないとアップできるような文章にはなっていません。
どんどん文章が湧き出てくるようになればいいのですが、素質がないので無理でしょうね。
* * *
今回は5月の岡山遠征で撮影した下関総合車両所(広セキ)のN10編成の中からモハ115形3000番代の最終増備車 モハ115-3010 をアップします。
モハ114-3010(広セキ) 2013年5月11日 庭瀬駅
上の写真をクリックすると大きな写真が表示されます。
クハ115-3116 のときに書いたことがありますが、115系の中でも最後に増備された115系3000番代は広島地区に残っていた153系を置き替えるために登場したグループです。
1982(昭和57)年に4両編成(Tc+M+M’+T’c)6本と冷房準備車(非冷房車)の先頭車(Tc・T’c)だけが15両ずつ製造されました。
冷房準備車で登場した クハ115-3007〜3021 と クハ115-3107〜3121 は、6両編成だった非冷房車の111系6両編成を4両化する際に余った電動車ユニット2両の両端に組み込むための先頭車だったため、当初は先頭車は115系の新製車、中間電動車は111系の非冷房車という4両編成が15本も組成されました。
のちに モハ114-3010 を組み込むことになる下図の編成は、この時点では先頭車(クハ115-3010・クハ115-3110)のみ115系で、中間車は非冷房車の111系電動車ユニット(モハ111-27・モハ110-27)でした。
しかも、“国鉄電車編成表 ’83年版”によると中間車の2両は瀬戸内色に塗り替えられず湘南色のままでした。なお、同誌には編成番号が記載されていません。
このときの編成をいつものようにイラストにしてみましたが、こんな感じです(右側が下関方)。
編成両端に転換クロスシートを装備した豪華な非冷房編成でしたが、翌年の1983(昭和58)年には115系3000番代の電動車ユニット(モハ115-3007〜3012・モハ114-3007〜3012)が6本分増備されたので、クハ115-3007〜3012・3107〜3112 は冷房化され、4両編成すべてが瀬戸内色の115系3000番代で揃いました。
モハ114-3010 を組み込んだ編成はC10編成と名付けられました(編成組み替え以前からC10編成を名乗ったかについては不明)。
1991(平成3)年3月改正で115系3000番代が広島運転所(広ヒロ)に移管され、このときに編成番号がC10編成はN10編成に変更。
その後、1993(平成5)年10月の広島空港開港に合わせて115系3000番代が“広島快速色”へ塗色変更することになったため、N10編成は同年4月に広島快速色に塗り替えられました。
2002(平成14)年3月に再度下関に移管されましたが、編成番号は広ヒロ時代と同じN10編成で変わらず。
2004(平成16)年8月にはN30体質改善工事が実施され、屋根上の通風器が撤去されて外観の印象が大きく変わりました。
そして、2012(平成24)年9月には現在の塗色、濃黄色の単色に塗り替えられました。
広セキN10編成の編成をちょっと書いてみましたが、111系と組んでいた時期は模型化ネタとしてちょうどいい材料ではないでしょうか?
このときに撮影してみたかったです…
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