釧路運転所の片隅に留置されていた救援車代用の スユニ50 514
前回お話したように PENTAX フィルムデュプリケーター で中判フィルムのデジタルデータ化を少しずつ開始しましたが、カラーポジについてはオーバー気味の露出でもないなのに車両の屋根と空がスッ飛んでしまうなど、もう少し最適条件を探っていかないといけない状況にあるようです。
今までは、光源のLEDライト(LPL LEDライトディフューズ VL-D1160XPC)の照度を最大にしてカメラのシャッタースピードを変えながら露出を探っていましたが、カラーポジの場合だとこれでは露出オーバー気味になってしまいます。
LEDライトには調光ボリュームが付いていますので、これを調整してデジタルデータ化に最適な照度を探していくのが次の段階のようです。
でも、少なくとも白黒ネガについては、LEDライト VL-D1160XPC の最大照度がちょうどいい条件のようなので、APSサイズの FUJIFILM X-T2 と Carl Zeiss Touit 2.8/50M でも問題ないと思われる白黒ネガの35mmフィルムについては少しづつデジタルデータ化を進めていこうと思っています。
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今回は前回アップした クハ711-205 の直前に撮影していた釧路運転所(釧クシ)の救援車代用の スユニ50 514 をアップしたいと思います。
特急「スーパーとかち」が釧路まで延長運転となる日に2階建グリーン普通車のキサロハ182形550番代を撮りに釧路運転所まで行ったときに、「スーパーとかち」編成の留置場所から運転所事務所に戻る途中に撮ったものだと思います。
滝川駅で撮影した クハ711-205 も同じ日なので、釧路運転所には午前中またはお昼ごろに訪問していたようですね〜
スユニ50 514(釧クシ) 1993年7月25日 釧路運転所
上の写真をクリックすると大きな写真が表示されます。
1986(昭和61)年9月にもここに来ていますが、まだ当時はぎりぎり救援車が2両配置されていました。
種車の荷物扉を拡幅したタイプの オエ61 15(オハニ61 342 からの改造車)と、折妻形の オエ61 317(オハ35 3280 → マニ36 2259 からの改造車)でした。
当時、雑草を掻き分けて オエ61 317 を撮影した記憶があるので、白黒ネガが探せば出てくると思います。
鋼製屋根と折妻車体にTR34台車を組み合わせた、一見して戦後製のオハ35形と分かる外観なのに、鋼体化客車を意味する“61”形式を名乗った不思議な救援車。
実は、オエ61形300番代は単にマニ36形を改造した珍しくも何ともない救援車です。何両かは撮影していますので、ネガが変質してしまう前にデジタルデータ化しておこうと思います。
スユニ50 514 に話しを戻しますが、極寒地仕様の北海道向けのスユニ50形500番代は1986(昭和61)年11月の郵便荷物輸送の廃止にともないほとんどが休車を経て廃車となりました。
スユニ50形500番代は17両のうち4両がJR北海道に継承され、救援車代用として機関車配置区の片隅などに留置されていました。
しかし、これらの救援車代用車も鉄道路線と並行する道路網の整備にともない必要性が薄れたため、老朽化にともない廃車が進み、旭川運転所に配置されていた スユニ50 511 を最後に2018(平成30)年9月に500番代は廃区分となりました。
なお、写真の スユニ50 514 は1981(昭和56)年10月27日に長野工場で スハ43 2424 から改造された車両で、2018(平成30)年3月31日に廃車となりました。
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