パンタを降ろして烏山線を走る蓄電池電車のEV-E301系(EV-E301-2)
4/3(月)に義母が脳梗塞で倒れてしまい、そのまま植物状態になってしまったため、それ以降は何度かつきみ野と栃木を往復しています。
一時は相当な覚悟が必要な状況で、3年前に実母で経験したイヤな気持ちを思い出してしまうほどでした。
生命が絶えるのをただ待つだけ、そんな辛い思いは義父や義妹弟にはしてもらいたくなかったので…
週末の4/8(土)になって呼びかけに反応するようになり、調子のいいときは自分の名前も言えるようになりました。その後も意識のはっきりしている時間が拡大しているようです。
回復が楽しみな状況にステージが完全に移ってきているので、安堵しているところです。
一方で、ローカル路線のJR車両を撮るときに妨げとなる雑草が春になって伸び始めているところもチラホラ。
そうなってくると、今年こそ押さえておこうと思っている撮影場所の状況が少し気になっているところです。
日曜日(4/9)は、雑草の影響が心配される栃木県内の無人駅にお見舞いのついで寄ってみました。
以前からクルマで栃木県に行く用事があったら寄ってみようと思ってましたが、昨年は娘の受験があった関係で実現できませんでした。キハ40形1000番代なら宝積寺駅で簡単に撮影できたということもありましたし…
でも、3月ダイヤ改正でキハ40形が引退し、烏山線の全列車が蓄電池電車(愛称:ACCUM)に置き替えられましたので、これを機に量産車が揃って撮影が楽になったEV-E301系を撮ってきたというわけです。
EV-E301-2(宮ヤマ) 2017年4月9日 下野花岡駅
上の写真をクリックすると大きな写真が表示されます。
烏山線は約20kmほどの非電化区間で、キハ40形時代は最大3両編成で運転されていました。
2014(平成26)年3月改正にEV-E301系量産先行車の2編成1本(ヤマV1編成)が投入されて、宇都宮〜烏山線での運用が開始されました。計画時、まだ“スマート電池くん”と呼ばれていましたが、EV-E301系の投入に合わせて“ACCUM”という愛称が付けられました。
この時点で、終点の烏山駅に専用の充電設備(烏山変電所)が建設され、走行時に必要な電源が充電できる設備が用意されました。
電力会社から受電して降圧整流を行った直流1,500Vの電流を、剛体架線とEV-E301形のパンタグラフを通して主回路用蓄電池と補助電源装置の静止形インバータ (SIV) に給電します。
基本的な構成は2016(平成28)年に登場したJR九州のDENCHA(BEC819系)もほとんど同じですが、こちらは投入線区の関係で交流電源を利用したシステムになっています。
2017(平成29)年3月4日のダイヤ改正でキハ40形1000番代はすべてEV-E301系に置き替えられ、同線区は2両編成に統一されました。
国鉄末期の1986(昭和61)年、烏山線のキハ40形2000番代はトイレを撤去して、当時としては珍しかった線区限定の地域色に塗り替えられました。キハ40形の区分も1000番代に整理されました。
1968(昭和43)年に“赤字83線”に選定された廃止対象路線でしたが、キハ40形をローカル仕様に改装するという地方ローカル線の活性化モデルケースとして大役を果たすことになりました。
なお、当時はセミクロスシートの座席配置のままで、トイレ撤去部分にロングシートは設置されていませんでした。
JR各社の後年改造の数多くの例と比べてみるとキハ40形1000番代なんて改番不要な地域向け改造のように見えますが、当時の国鉄は全国転配を考慮した車両管理を行っていた時代ですから、他線区への転用ができなくなるような地域事情を踏まえた改造はそれほど行われていませんでした。
まして車齢10年程度のキハ40形ですから、このような改造を施すのは異例のことでした。
今回の烏山線へのEV-E301系の投入も将来のローカル線の在り方を先取りしているようなものなので、“歴史は繰り返される”ことになっているのでしょうね。
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