「越乃Shu*Kura」の1号車 キハ48 558
十日町遠征から1週間も経ってしまいましたし、すでにこちらで遠征報告をしていますので、特に引きずることもないのですが、今回の遠征はもう1つ目的がありました。
先日アップした「おいこっと」の他に「越乃Shu*Kura」のキハ40系を撮るということではなく、昨年他界した父の生まれた町を見てみたいということでした。
* * *
父は福島県いわき市出身ですが、戦争中は祖父の仕事の関係で京城(ソウル)に住んでいました。
終戦直後に朝鮮半島から着の身着のままで帰国し、帰国後しばらくして祖父が亡くなり、その後は母子家庭で育ちました。
いわき市の父の実家は伊藤家の本家のそばだったので、いわき市が出生地かと思ってましたが、新潟生まれ。でも、それが何処なのか聞いたことがありません。
叔父や叔母がいわき市や仙台市などに住んでいて気軽に会えない環境だったので、父がどのような生い立ちだったか聞いたことがありませんでした。
父は、私が趣味を持っていることにとにかく否定的。
最近の風潮からは信じられないですが、15年くらいまでは鉄道を趣味にしているなんて口外できない時代でした。
鉄道趣味は隠すのが当たり前、そう思っている自分の子どもが鉄道好き。しかも、重傷。
父自身は、生きるのがやっとという終戦直後を小学生のときに経験。
しかも、終戦を境に天と地ほどの落差を子どものときに経験したので、趣味を持つなんて余計に許せなかったのでしょう。
このような父だったので、父との会話は当たり障りのないことばかり。
父の生い立ちについては生前ほとんど聞いたことがありませんでした。
こっちも子どもを育てて親の苦労が分かるようになったし、そのうち昔話しが聞けるようになるかな〜、なんて思っていましたが、60代後半でパーキンソン病。しかも両親揃って…
両親の通院には必ず付き添ってましたし、老人ホームも我が家の近くにしていたので、話す機会はたくさんあったのですが、パーキンソン病患者との会話は至難の業。
最後の最後まで、“なんで新潟生まれだったの?”については聞くことができませんでした。
父の死後、手続きなどで父の除籍謄本を取り寄せてはじめて“新潟生まれ”が何処だったのか分かりました。
“新潟県中魚沼郡田沢村で出生”
だったのです。
田沢村は現在の十日町市。
その後、弁護士に取り寄せてもらったいわき市の改製原戸籍を見ると、さらに詳しく、
“新潟県中魚沼郡田澤村鉄道官舎●号の●で出生”
とありました。
終戦後に亡くなった祖父が鉄道技師だったようなことは聞いたことがあったのですが、父は現在の十日町市の鉄道官舎で生まれたのでした。
当時の田沢村の鉄道官舎が何処にあったのか分かりませんが、父が生まれたのは、1929(昭和4)年9月に越後田沢〜十日町間が延伸開業して飯山鉄道(現在の飯山線)が全通してから数年後。
トンネル技師だったという話しで、清水トンネルに携わったと聞いたことがありますが、詳細は不明。
でも、先日の十日町遠征はJR十日町駅の本屋とは反対側(北越急行ほくほく線側)にクルマを駐めて、「越乃Shu*Kura」のキハ40系を撮っていたので、もしかしたら当時はその辺りに飯山鉄道の関連施設があって、そこで祖父が仕事をしていたのかも知れません。
「越乃Shu*Kura」のキハ40系3両編成を撮りに十日町に来たのは必然では…
なんて妄想してみましたが、勘違いで東京電力信濃川発電所だった可能性も否定できません。となると、鉄道官舎と矛盾しますね…
仙台に一番上の叔母がいるので、詳しい話しが聞けたら父の生い立ちがもう少し分かるかも知れません。
ということで、先日の遠征で父の出生地を訪れるという目的自体は達成できました。
もちろん、主たる目的の「越乃Shu*Kura」のキハ40系も3両ともきれいに撮れました。
これで、北陸新幹線の金沢延伸開業に合わせて登場した観光列車用の車両はすべて撮影終了!
ここ数年は東日本方面に目が向いていたので、こんどはJR西日本やJR九州の車両を追いかけてみようと思います。
キハ48 558(新ニイ) 2015年11月29日 十日町駅
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