新しい年を迎えました(トタM8編成の クモハ115-311)
2015年という新しい年を迎えました。
皆さま、お正月はいかがお過ごしでしょうか?
昨年、両親が相次いで亡くなり喪中となりますので、お正月のお祝いのお言葉は控えさせていただきます。
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まさか同じ年に親を2人とも亡くすとは思ってもみませんでした。
あれから数ヶ月経ちましたので、一時期のように凹むことはなくなりましたが、気持ちの整理が付くまでは時間が掛かるので、両親のどうでもいいことを書いて少しスッキリしてみたいと思います。
両親はともに福島県いわき市に関係があり、父はいわき市平(当時は平市)で育ち大学進学のときに上京、母は親の実家がいわき市の平(たいら)にありました。
母は旧姓が“佐藤”でしたので、お見合いで出会ったときは“いとう・まさお”と“さとう・まさこ”、結婚してからは“いとう・まさお”と“いとう・まさこ”という似た名前同士。漢字も似たような文字でした。
生まれは父の方が1年早かったですが、亡くなった年は2人とも同じで 2014(平成26)年。
ず〜っと患っていた病気も同じで、パーキンソン病。
パーキンソン病は生活習慣には関係しない病気なのに、夫婦揃って同じ病気。
しかも誰もがなる病気ではなくて、所謂難病といわれる特定疾患でした。
年末までに両親が入るお墓が完成しましたが、途中段階では文字チェックに気合いを入れないと誤字が刻まれた墓石になりそうだったので、業者さんもヒヤヒヤ^.^; 文字列で見るとほとんど同じでしたからね…
あとは米国に住む弟の来日のタイミングに合わせて納骨するだけになりました。
あとは実家をどうするか?
これは大きな問題です。自分自身が育った家のことなので、どこかで吹っ切らないと進みません。
思い出が詰まっていますからね…
もう少し過去を見つめながらのお務めが残っていますが、もうしばらく向き合っていきたいと思います。
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昨年12月に定期運用から豊田車両センター(八トタ)の115系300番代が離脱しました。
八トタの115系は3両編成が基本編成でしたが、これを2本連結した6両編成や富士急行大月〜河口湖間に乗り入れる運用が組まれていたため、一部運用を後継車に順次差し替えていくような方法で置き替えることができませんでした。
後継車となる211系1000番代の準備をすべて終わらせ、準備が整ったところで一気に置き替えていくしか方法がないという事情がありました。
そのため、長野総合車両センター(長ナノ)に211系1000番代が11本出揃い、冬季に入って115系のドア開閉が大変になるタイミングに合わせて置き替えられました。
12/5(金)に115系の一部運用が後継の211系1000番代に置き替えられ、12/6(土)には完了。
以前から噂されていたスカ色115系の定期運用はこれで終わりました。
1/17(土)と1/18(日)、1/21(水)に廃車回送を兼ねた団体列車の運行が計画されていますので、そのときに見慣れたスカ色の電車が走りますが、それが終わるとスカ色も過去のもになります。
致し方ないとは言え、ね。
今回は、最後までリニューアル工事が施工されなかったトタM8編成のうち新宿方に連結されていた クモハ115-311(八トタ)をアップしたいと思います。
クモハ115-311(八トタ) 2012年7月7日 高尾駅
上の写真をクリックすると大きな写真が表示されます。
2年半前に撮影した写真ですが、このときはお昼ごろに高尾駅に行けば簡単にきれいな形式写真が撮れました。
撮れるときにとっておいてよかった… そう思える写真です。
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