突然のことでしたが、父の最期を看取りました(EF81 81)
春先の3月に続き今回も個人的なことを書きますので、国鉄/JR車両の形式写真を期待している方は一番下までスクロールしてください。
今回は、お召し仕様に復元されてから初めて尾久〜黒磯間のハンドル訓練に充当された田端運転所(田)の EF81 81 をアップします。
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TwitterとFacebookに少しだけ書きましたが、先週の火曜日(10/21)に父が亡くなりました。享年79歳でした。
父がお世話になっている老人ホームで、夕食後の休憩中に父がぐったりしているところを発見されました。血圧低下が著しかったため、すぐに病院に搬送されました。
老人ホームからこのような旨の電話があったので、夕飯の支度を放ったらかして大和市内の病院に駆けつけましたが、意識が回復することなく夜8時過ぎに息を引き取りました。
今年の3月に母が他界したばかりでだったのに、こんどは父です。
両親は2人ともパーキンソン病を患っていましたので、自活ができなくなった9年前からいつかはこうなると覚悟はしていましたが、1年のあいだに2人とも逝くとは…
今回は突然の死で、気持ちを整理する時間はぜんぜんありません。
弟が帰国するまでは、生まれ育った家族がとうとう1人きりになってしまった、そんな孤独感に襲われました。
やっぱり、喪失感というよりは孤独感でしたね。
母のときに一通りの流れを経験していたので、やらなければならないことは承知していましたが、孤独感で打ちのめされてしまい1人きりですべてを執り行う自信がなかったので、藤沢の叔父(母の弟)に連絡。もちろん、うちの奥さんにも。
深夜だったので連絡をためらってましたが、アメリカに住む弟にも国際電話。
でも、親が亡くなることに慣れているみたいな振る舞いだったので、強烈に自己嫌悪も襲ってきました。
仕方がないのですが、かなり凹みました。
10/25(土)にお通夜、そして10/26(日)に告別式を執り行いました。
でも、日米に別れて暮らしている従兄弟たちが一堂に会することができたので、子どもたちはおじいちゃんからのプレゼントを楽しむこともできました。一応、記念写真です。
葬儀が終わってもやることがいっぱいで、役所手続きなどは早めに終わらせ、一昨日(10/30)の午後過ぎから少し落ち着いてきました。
あとは郵便や担当者と個別での対応が中心になるので、11月からは少しゆっくり進めていきます。
でも、母のときと違って父の名義のものをすべて変更していかないといけないので、手続きが一通り終わるのは来年でしょうね…
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最後に出撃報告をいたしますが、昨日(10/31)は黒磯まで オロハネ24 501 を撮りに行ってきました。尾久〜黒磯間のハンドル訓練が走りそうな気配を感じたので、24系編成の上野寄りに連結されているA・B寝台合造車(“ロイヤル・ソロ”)を狙っての出撃でした。
残念ながら黒磯の辺りだけ雲が切れて晴れてしまったので、オロハネ24 501 の形式写真はお預けに…
でも、8月末に赤13号(ローズピンク)のお召塗装に塗り戻された EF81 81 が牽引してくれましたので、今回は旬な電気機関車、EF81 81(田)をアップいたします。
EF81 81(田) 2014年10月31日 久喜駅
上の写真をクリックすると大きな写真が表示されます。
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